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2021年5月24日月曜日

はなれて奏でる(3)


 はなれて奏でるといって、まっさきに思い浮かぶのは、『伊勢物語』東下り、隅田川の渡し(9段の3)。隅田川の都鳥(ユリカモメ)を見て、都を思いやります。

なお行き行きて、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。それを隅田河といふ。その河のほとりにむれゑて、思ひやれば、かぎりなく遠くも来にけるかな、・・みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。

さるをりしも、白き鳥の、はしとあしと赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」と言ふを聞きて、

 名にし負はばいざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと

と詠めりければ、舟こぞりて泣きにけり。

おくのほそ道でも、江戸から旅先を、また旅先から江戸を思いやる場面がいくつかでてきます。

まず冒頭、旅をあこがれ。

春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神のものにつきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず・・・

千住までの見送り。

むつまじき限りは宵よりつどひて、舟に乗りて送る。千住といふ所にて船を上がれば、前途三千里の思ひ胸にふさがりて、幻の巷に離別の涙をそそぐ。

 行く春や鳥啼き魚の目は涙

これを矢立の初めとして、行く道なほ進まず。人々は途中に立ち並びて、後影の見ゆるまではと、見送るなるべし。

草加の宿での物思い。

痩骨の肩にかかれる物、まづ苦しむ。ただ身すがらにと出で立ちはべるを、紙子一衣は夜の防ぎ、浴衣・雨具・墨・筆のたぐひ、あるはさりがたき餞などしたるは、さすがにうち捨てがたくて、路次の煩ひとなれるこそわりなけれ。

そして武隈の松を見て。

 武隈の松見せ申せ遅桜

と、挙白といふ者の餞別したりければ、

 桜より松は二木を三月越し

挙白は芭蕉のお弟子さんで陸奥出身ではないかといわれています。その人が餞別に送った句。みちのくの遅桜よ、うちの師匠に武隈の松の姿をお目にかけなさい。それに対し、芭蕉は現地で返しの句を詠む。はなれて奏でる師弟愛。

また松島の夜。

予は口を閉ぢて眠らんとしていねらず。旧庵を別るる時、素堂、松島の詩あり。原安適、松が浦の和歌を贈らる。袋を解きて今宵の友とす。かつ、杉風・濁子が発句あり。

おくのほそ道の旅は、芭蕉の孤高の精神から発したものだったでしょうが、芭蕉を慕うお弟子さんたちとの暖かい心の交流という支えがあってこそという一面もあったようです。

2021年3月25日木曜日

深川・芭蕉庵


ある会合で卓話をするよう頼まれたので、松尾芭蕉の『おくのほそ道』のお話をしようと思います。準備のついでなので、本ブログでもしばらくこの話をしようかと思います。しばらくおつきあいください。

芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出発したのは、深川の芭蕉庵からです。写真は芭蕉庵があったところです。もちろんもう残っていません。前の川は隅田川です。いまの時節、春のうららの隅田川でしょう。

川向こうに日本橋や東京駅があります。つまり、江戸の中心は川向こうです。芭蕉になるまえ、芭蕉は桃青という名前でした。中国古代の大詩人・李白にあやかったものです。桃青は江戸で俳句の売れっ子俳諧師でした。火事の影響か、気ぜわしい生活の影響か、深川に隠棲しました。隅田川の向こう側からこちら側に来たわけです。37歳のときです。

お弟子さんの生け簀の番屋を庵にしたもの。そこの草庵に芭蕉の木が植えられました。これも門人からのプレゼント、バナナの木に似たやつです。それで芭蕉庵と呼ばれるようになりました。芭蕉の葉はよわく、風が吹くと破れてしまいます。芭蕉はじぶんもそう名乗り、そのような弱い存在だと言いたかったようです。

ここで、芭蕉はかの有名な「古池や蛙飛び込む水の音」の句を詠んでいます。蕉風開眼、つまりいままでの俳句とはちがう、芭蕉独自の俳句に目覚めました。長谷川櫂先生は、古池に蛙が飛び込んだのではなく、蛙が飛び込んだ水の音が聞こえてきて、それで芭蕉の心に古池が思い浮かんだのだと詠むべきだとおっしゃっています。

そこから、『野ざらし紀行』、『鹿島詣』、『笈の小文』の旅に出、それから『おくのほそ道』の旅に出ることにしました。この旅で、蕉風はさらに深化しました。よく知られる「不易流行」の考えはこの旅でつかんだものです。

旅に出る際、芭蕉庵は人に譲りました。あたらしい住人には女子がいたのだとか。それを踏まえて詠まれた『おくのほそ道』最初の句。

草の戸も住み替わる代ぞ雛の家

転居の際、芭蕉庵の柱にかけておいたそうです。いまこの句を書いたものが藏から発見されれば、鑑定団行きまちがいなしですね。

※なお、以下、おくのほそ道本文は基本的に角川ビギナーズクラッシックに、蕉風の定義は長谷川櫂氏によっています。誤りや誤読の責任はすべて浦田にあります。ご宥恕くださいませ。

2013年4月8日月曜日

言問橋





一青窈つながりで
言問橋(ことといばし)。


東京スカイツリーに登った人が
増えていますね。

東京観光でスカイツリーに登った人は
ついでに浅草寺にも行くのでしょうか。

東京スカイツリーから浅草寺
もしくは逆の区間は歩くと楽しい。

20分くらいの散歩でしょうか。
途中,隅田川が流れています。



ふつう墨田(≒隅田)区役所のたもとにある
吾妻橋をわたるのでしょう。

雷門の前の通りを
まっすぐ東にいったところにある橋です。

東に屹立するスカイツリーに注意を奪われていると
見落としますが,ちょっと川の上流をみてください。

すぐ北側に見えている橋が
言問橋。

一青窈の『一思案(ひとしあん)』
という曲のなかに出てきます。

ボクは吾妻橋をわたらず
すこし足をのばして,言問橋をわたります。


「言問(こととい)」というのは
『伊勢物語』の東下りの段に由来しています。

  なほ行き行きて,武蔵の国と下つ総の国との中に
  いと大きなる河あり。それを隅田河といふ。

  その河のほとりにむれゐて,思ひやれば
  かぎりなく遠くも来にけるかな,と,わびあへるに

  渡守,「はや舟に乗れ,日も暮れぬ」と言ふに
  乗りて,渡らむとするに

  みな人ものわびしくて
  京に思ふ人なきにしもあらず。

  さるをりしも,白き鳥の,はしとあしと赤き
  鴫の大きさなる,水の上に遊びつつ魚を食ふ。

  京には見えぬ鳥なれば
  みな人見知らず。

  渡守に問ひければ
  「これなむ都鳥」と言ふを聞きて

    名にし負はば いざ言問はむ 都鳥
             わが思ふ人は ありやなしやと

  と詠めりければ
  舟こぞりて泣きにけり。

この歌のなかにある「いざ言問はむ」が
「言問」の由来です。

スカイツリーの南側には『伊勢物語』の主人公
にちなんだのか,業平町がひろがっています。


言問橋をみただけで満足せずに
さらによく見てください。

川面や川縁には,ちゃんと
都鳥が浮かんだり飛んだりしています。

いまでいう
ユリカモメです。

新橋からお台場へいくときに乗る
あの乗り物じゃないですよ。

すごいですねぇ。
平安時代からずっとつづく風景なわけですよ。


この段はやはり,きのうにひきつづき
遠距離恋愛の話なわけです。

都鳥をみかけたら
言問うてみてください。

わが思ふ人は
ありやなしやと。


ただし,初恋中の女性は
言問橋をわたらないほうがいいかも。

『一思案』の歌詞によると
娘が言問橋で初恋を落としてしまったそうですから。

(天満宮の太鼓橋
みたいなものかな?)

2013年2月11日月曜日

ユリカモメ





雪がふりだしたので
足をはやめたところ

裁判所のお堀に
ユリカモメ。

冬は頭が白く
目の後ろに黒い斑点が。


『伊勢物語』の東下りの段
隅田川にいた都鳥はユリカモメのことらしい。

 なほゆきゆきて、武蔵の国と下つ総の国との中に
 いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ…。

 さるをりしも、白き鳥の嘴と脚と赤き,しぎの大きさなる
 水の上に遊びつつ魚を食う。

 京には見えぬ鳥なれば
 みな人見知らず。

 渡しもりに問ひければ
 「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて

   名にし負はば いざこと問はむ 都鳥
               わが思ふ人は ありやなしやと

 とよめりければ
 舟こぞりて泣きにけり。

この条件,つまり
①隅田川にいる

②京には見えぬ
③体が白

④嘴と脚が赤
⑤シギの大きさ

⑥水の上に遊ぶ
⑦魚を食う

にあてはまるのが
ユリカモメだから。

もっとも,福岡にもいるぐらいだから
京にもいるのでは?と思っていたら

さいきんは
鴨川でもふつうに見られるらしい。


京には見えないのに
なぜ,都鳥と呼んでいたんでしょうか。

京に見えれば
名歌もうまれず。

言問橋など
在原業平ゆかりの名所も生まれず。

新橋~豊洲を結ぶ
ゆりかもめの名称も変わったもになったいたんでしょうねぇ。

2012年10月8日月曜日

『風姿花伝』






「能のかたち」の
つづき。

『風姿花伝,謡曲名作選』(小学館)
「日本の古典をよむ」シリーズ。

これも,展の出口のところにあった
販売コーナーで買ったもの。

名作選は,『井筒』と『隅田川』が前書と重複していて
『忠度』(修羅物)と『船弁慶』(切能)が新作。

『風姿花伝』はいうまでもなく
世阿弥が記した能楽論。

秀吉が能のパトロンだったと書きましたが
世阿弥のころパトロンは足利義満・義持だったんですね。

おおくのライバルたちと競いながら
一座をアピールするなかで,芸がみがかれていきます。

もともとは家業をつぐ
子どもに教え諭す目的で書かれたもの。

きびしく稽古にとりくむことを説き
慢心をきびしく諫める論旨は,どの業界にも通用する教えが満載。

美しさ,珍しさ,楽しさ,すなわち「花」のある芸を
観客の視点を中心に論じる姿勢は,まったく古びていません。

少年期にはじまり,引退まじかまで
芸道を極めつづける教えには頭がさがります。

珍しさを観客に感じさせるには
タネあかし,ネタばらしは当然さけたいところ。

秘してこそ花
というわけです。

世阿弥は,『風姿花伝』が古典として
誰もが読めるようになるとは夢にもおもわなかったでしょうね。

今夜あたり
夢枕に立って嘆くかも。

2012年9月26日水曜日

『伊勢物語』by.福岡県筑紫野市の弁護士






『謡曲』のうち,『井筒』と『隅田川』のベースとなった
『伊勢物語』を読んでみました。

例によって,角川文庫のビギナーズ・クラッシックス
によって。

もちろん,授業等で断片的には読んだことがありますが
通読したのははじめて。

とはいっても,坂口由美子さんが
編んだ現代語訳によってですが。

「むかし,こんな男がいましたっけ。」ではじまる
茶目っ気たっぷりの現代語訳と解説つきです。

いうまでもなく,『伊勢物語』の主人公のモデルは
在五中将・在原業平。

父方も母方ももとをたどれば
桓武天皇にいきつく高貴な血筋。

ただし,政治的には不遇で
臣籍に降下。

貴族で歌人(六歌仙のひとり)であるだけでなく
美男で有名で恋多き人生。

ん?これってどこかで聞いたことがある?
そう,『源氏物語』の主人公・光源氏とそっくりですね。

紫式部も『源氏』を書くうえで
『伊勢物語』におおいにインスパイアされたらしい。

紫式部だけでなく,世阿弥など『謡曲』の作者たちも
インスパイアされたことは冒頭のとおり。

権勢家・藤原氏の娘で
天皇の妻になる予定の高子の略奪愛。

もっぱら神につかえるはずの
伊勢の斎宮との恋愛。

など禁断の恋がいっぱい。
手に汗にぎりますねぇ。

ベルばらのフェルゼンとマリーアントワネットみたい。
いや,逆か?

『伊勢物語』は和歌を中心とする歌物語で
『古今和歌集』の成立と表裏の関係にあるらしい。

ほとんどの和歌が
古今集にも収録されています。

  ちはやぶる 神代もきかず 竜田川
          からくれなゐに 水くゝるとは

これは小倉百人一首にも
撰歌されていますね。

  世の中に たえて桜の なかりせば
         春の心は のどけからまし

  忘れては 夢かとぞ思ふ 思ひきや
         雪踏みわけて 君を見むとは

  から衣 きつつなれにし つましあれば
         はるばるきぬる たびをしぞ思ふ

  名にし負はば いざこと問はむ 都鳥
         わが思ふ人は ありやなしやと

これが昔男が東下りして『隅田川』を渡るときに見かけた
都鳥(ユリカモメ)を踏まえた和歌。

  月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ
         我が身ひとつは もとの身にして

『伊勢物語』は,和歌を中心に組み立てられていることもあり
言葉すくなくものたりない印象。

でも,じゃたくさん言葉をついやせばいいかというと
そういうものでもない。

そのことを教訓的に示すのが
『大和物語』の存在。

これは『伊勢物語』とおなじことを
説明的にくどくどと語っています。

くどくどと説明されると
われわれのイメージはしぼんでしまう。

逆に,おおくを語らず余白が残されることにより
インスパイアされる…。

勉強になりますねぇ。

                     弁護士 浦田秀徳


2012年9月24日月曜日

『謡曲・狂言』



能は,豊臣秀吉がパトロンとして
保護したことがきっかけで近世に隆盛したらしい。

信長につかえ,ひとたらしの天才といわれた秀吉こそ
人の表情のかすかな動きを読みとる芸のパトロンとしてふさわしい。


「能のかたち」展がおもしろかったので
博物館の売店で,関連本を買い,読みました。

例の「ビギナーズ・クラッシックス 日本の古典」シリーズの
網本尚子編・『謡曲・狂言』(角川文庫)。

謡曲として
『高砂』 初番目物(脇能)

『敦盛』 二番目物(修羅物)
『井筒』 三番目物(鬘物)

『隅田川』 四番目物(雑物)
『鵺』 五番目物(切能)

以上5作品が収められています。
初番から五番目まで,この順に演じられるらしい。

初番目物を序曲と考えれば
起承転結,交響曲の構成に似ています。

やはり人間を飽きさせず
舞台に引きつける工夫なのでしょうね。

『高砂』は結婚式でおなじみ
高砂と住吉の松の精の仲良くおめでたいお話。

『敦盛』は平家物語の有名な段
『井筒』は伊勢物語に材をとられています。

『隅田川』も伊勢物語の
例の都鳥の話をベースにしています。

『鵺』は,ご存知
源頼政の鵺退治の話です。

いずれもおなじみの話なので
さっと読めました。

修習生時代にいちど
国立劇場に連れていかれ,能を観ました。

当時,歌舞伎は楽しめたけれど
能はさっぱり(寝てしまいました)。

その後も,歌舞伎については博多座に
ご招待を受けたりして,観劇の機会がありました。

でも能はそのまんまに。
今回を機にいちど観劇してみたくなりました。

2011年2月5日土曜日

 春立ちぬ



 きのうは立春、「寒さがあけて春に入る日」
 いわば春の初日、こよみどおり暖かくなりました。

 丸谷才一さんの「新々百人一首」より春の歌。

  雪のうちに 春はきにけり うぐひすの

            氷れる泪 いまやとくらむ

                      二条后

 うぐいすは春告鳥なので
 春を告げます。

 「法、法華経(ホー ホケキョ)」と鳴き
 鳥ながら法を説きます。

 法を説くのであれば、泣いて泪することもあるでしょう。

 二条后は藤原高子(たかいこ)で
 清和天皇の女御。

 むかしのイケメン在原業平に略奪されて駆け落ち
 許されぬ悲恋に生きます(伊勢物語)。

   あなたにさらわれて~
   センチメンタル・ジャーニー

 むかしの松本伊代ちゃんのセンチメンタル・ジャーニーは
 略奪愛に成功したのでしょうか?

 業平は失敗し、「京にはあらじ、東の方に住むべき国求めに」とて
 傷心のセンチメンタル・ジャーニー(東くだり)。

 隅田川の河畔まで来た業平は
 高子のことを想って歌を詠みました。
 
   名にし負はば いざ言問はむ 都鳥
 
           わが思ふ人は ありやなしやと

                      在原業平

              (注:都鳥はユリカモメのこと)

 ユリカモメのいる隅田川といっても、新橋~お台場のあたりではなく
 もっと上流、浅草寺の東のあたり。

 隅田川にかかる言問橋はこの歌にちなんで命名されたもの
 一青窈さんの「一思案」の歌では、娘が初恋を落とした場所です。

  花に鳴くうぐひす 水に住むかはづの声を聞けば
  生きとし生けるもの いづれか歌をよまざりける(古今集・仮名序)

 春の隅田川、名にし負う都鳥、娘が初恋を落とした言問橋とくれば
 生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。

 ちかくに東武伊勢崎線の業平橋駅があり
 春ならぬ東京スカイツリーが立ちつつあります。

 業平なら、高い塔をみて高い子を想い
 もう一首歌を詠んだでしょうか?