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2023年9月6日水曜日

慈覚大師・圓仁『入唐求法巡礼行記』

 



 NHK BSで「中国名山紀行」というシリーズ番組をやっている。先日は五台山をやっていた。

五台山は中国山西省にある霊山。ユネスコの世界遺産に登録されている。もちろん5つのピークからなる台地状の山だから五台山。最高峰は北台でなんと標高3058m。

日本には3000m以上の山は、数え方にもよるが21峰(マニアの間では、21サミッツといって、これらを全山登るチャレンジもある。)。3058mというと、南アルプスの塩見岳より1mだけ高く、日本の山であれば15位にランクインする高山だ。

五台山というと、歴史の教科書や仏教の説明資料等でなんどか見た覚えはあった。が、現地の映像は初めてみた。高原状で、日本でいえば、山陰の三瓶山や九州の九重山のような風景だった。

そのような山上に仏教寺院が立ち並ぶさまは聖地と呼ぶにふさわしい。いちどは行ってみたい。

番組が進むと、そのうちの寺の柱になにか書いてある。円仁が来たところという趣旨のことが書いてある。なんと。

円仁は慈覚大師。伝教大師・最澄の弟子で、比叡山・延暦寺3代目の座主。延暦13年(794年)生まれ。といっても、円仁って誰という人がおおかろう。じつは東北ファン、芭蕉ファンとは縁がある。

円仁は、立石寺、中尊寺、毛越寺、瑞巌寺などを創建している。立石寺はセミの声が岩にしみいる寺(1枚目の写真)。中尊寺は金色堂のあるところ(2枚目の写真)。毛越寺は奥州藤原氏とゆかりが深く、瑞巌寺は松島にある。

円仁は2度の失敗ののち、3度目に入唐を果たしている(3度目の正直。最後の遣唐船で。)。その航海や中国の様子を記録したのが『入唐求法巡礼行記』。マルコポーロの『東方見聞録』、玄奘三蔵の『大唐西域記』と並び称される旅行記。

井上靖の『天平の甍』の味わいだが、井上以上に枯れた文体。事実だけを淡々と記述している。

円仁が入唐を果たしたのは、最後の遣唐船と書いたように、唐も末期。仏教も弾圧される混乱の時代だった。

円仁は天台宗だけに当初、天台山をめざした。しかし中国政府の許可がおりず、寄寓先の新羅僧から五台山の存在を教えられる。この助言にしたがい五台山を巡礼することに。1日40Km歩き、約1270kmを58日間で踏破したようだ。すごい。

その後、五台山からは1100km歩いて長安を訪ねている。ここでも廃仏弾圧に遭遇したり、還俗させられたり、苦難の連続。そうしたなか、仏法の新知識や文物の収集に励んでいるから、これまたすごい。求法の気構えを見習いたい。

それではということで帰国しようとしたが、これも許可させない。隠れて帰国しようしたが密告されてダメに。などなど数々の苦労の末に帰国。帰国したときは54歳。もう頭がさがる。

2012年11月25日日曜日

行き行きて





山仲間のM・K夫婦が
立石寺を訪ねたと聞いた。

MKはタクシー会社ではなく
MさんとKさん。

破天荒なMさんをKさんがけなげに支える
おしどり夫婦だ。

立石寺は
みちのく山形にある山寺。

創始者は慈覚大師=円仁
天台宗の開祖・最澄の高弟…。

というより,岩にしみいる蝉の声
の句で有名だ。

『おくのほそ道』
の不朽の名句だ。

閑寂な宇宙
のひろがり。

わずか5・7・5文字で表現するとは。
すばらしい。さすが。

『おくのほそ道』は春から秋にかけて
東北から北陸を経て中部・大垣までの紀行文。

旅をすみかとした芭蕉の傑作
古典では一番好きな作品だ。

同行者は
弟子の曽良。

温厚篤実で
すぐれた秘書。

コースの下調べ,資料収集,旅費の会計
などを担当し,『随行日記』を書きのこした。

(例により角川文庫
ビギナーズ・クラシックス参照)

夫婦の旅のたよりに誘われて
漂白の思ひやまず『おくのほそ道』を再読。

月山に登り,湯殿に下ったくだりまで読んだところで
ことしの山の会の納会が開かれた。

場所はMK夫婦のご自宅
Kさんの手料理によるもてなしだ。

電車でいっしょになったSさんと
訪れると,さっそく読書談議となった。

Kさんが読んでいるのは『平家物語』
やはりダジャレがいっぱいだ!だとか。

Sさんは『本屋さんで待ちあわせ』。
この話はのちほどまた。

ボクは『おくのほそ道』を読んでいて
月山から湯殿さんへ下ったところだと披露した。

Kさんは意外にも
曽良に思い入れを感じると応じた。

えっ!『おくのほそ道』って
芭蕉に感情移入して読むものでは?

でも,よく考えると意外でも何でもない。
Mさん=芭蕉,Kさん=曽良の構図だから。

そうか
そうか(納得)。

そういえばこの話
どっかでもあったなぁ…?

そう。
『ニュー・シネマ・パラダイス』!

ローマ在住の大物映画監督サルヴァトーレは
故郷の母からある訃報を受ける。

そこから彼は,映画に魅せられた少年時代
~青年時代の恋愛へ思いをはせる。

この流れからして,この映画
サルヴァトーレに感情移入するようにつくられている。

でも,ある女性(1男の母)は
故郷の母に感情移入してしまうらしいのだ。

ふつう小説や映画,お芝居は主人公がいて
そこへ感情移入するようつくられている。

これがうまくいかないと
作品にのめり込めない。

よい作品ほど主人公に感情移入しやすい
つくりになっている。

だから,主人公以外の登場人物に
感情移入することはむずかしい。

でも,たしかに作品の鑑賞のしかたは
ひとさまざま。

母や曽良に感情移入したって
いっこうにかまわない。

“自分が”生きる意味を見つけたり
確認したりすることこそが大事だろうから。

  行き行きて倒れ伏すとも萩の原
                       曽良

2012年6月6日水曜日

猪鹿狼寺・本堂跡 by.福岡県筑紫野市の弁護士ブログ



 九重山を南登山口(南麓,花公園のある側)から
 登ると,最初の休憩ポイントが猪鹿狼寺・本堂跡。

 石祠と礎石類があるだけで
 建物等は残っていません。

 でも,動物名を連ねた寺の由来は
 なかなか興味深いものが(以下,説明板によります)。

 もともと天台宗の寺院で
 伝教大師・最澄が開基とも伝わるとか。

 最澄さん,宝満山には渡唐前に登ったと思いますが
 九重山まで来たかはちょっときびしい気がします。

 NHK大河で苦戦がつづく平清盛は
 歴史的にも,玉木宏の息子・源頼朝に倒されます。

 平家を打倒した頼朝は,自己の軍事力を誇示し
 東国武士の心をまとめるため富士山の麓で「巻狩り」を企画します。

 曾我兄弟の仇討ちで
 有名です(『曽我物語』)。

 いまでいえば
 オリンピックで国威を高揚させるようなものでしょうか。

 巻狩りは,鹿や猪などが生息する狩場を多人数で四方から取り囲み
 囲いを縮めながら獲物を追いつめて射止める大規模な狩猟のこと。

 さて頼朝の側近たちも,巻狩りなどはじめて。
 ルールや作法もわからず,どうすればいいんじゃ~。

 すると,九州の阿蘇神宮が
 どうやら巻狩りの作法に詳しいらしい。 

 というわけで,梶原景高,新田忠常を派遣し
 ルールや作法を習得させます。

 2人は,座学だけでなく
 久住高原で実習をやってみます。

 九重山には,牧ノ戸とか,鉾立峠とか
 巻狩りにちなむ地名が残っています。

 どちらも,鹿や猪を一網打尽にするため
 追い込んだ峠です。

 さて九重山は,天台宗の寺院もある霊峰ですから
 殺生禁止。

 そこで,彼らはお寺に,猪,鹿,狼を殺してゴメンなさい
 と多額の寄進をしたのだとか。

 中世ヨーロッパでいえば免罪符の販売,現代刑事事件でいえば
 贖罪寄付というところでしょう。

 こうして,武家の寄進を受けて
 一時は隆盛した寺も,戦国末期,島津軍の侵攻により消失。

 大分県という場所がら
 大友家と仲がよかったからでしょうね。

 これは,やはり島津軍の侵攻を受けて全滅した
 四王寺山・岩屋城の高橋紹運の運命とおなじですね。

 猪鹿狼寺・本堂跡は,こんな意味で
 九重山と宝満山・四王寺山を関連づける史跡なのでした。

          ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2012年2月2日木曜日

役の行者 by.山歩きの好きな福岡の弁護士



 きょうは節分ですね。
 節分とは、季節を分けること。

 つまり、季節の始まりの日の前日のこと。
 つまり、明日は、立春です(なので、雪よ、やめ!)。

 季節の変わり目には邪気(鬼)が生じるんですね。
 (たしかに、風邪をひきやすい)

 それを追い払うために
 悪霊ばらいの行事が必要なわけです。

 ふつうは豆まきですね。
 「鬼はそと!福はうち!」

 鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払います。
 なぜなら、マメ=魔滅だから(あはは)。

 でも福岡県の太宰府市や筑紫野市あたりは
 ほんとうなら豆まきはしなくてもいいくらいです。

 なぜならまず
 フクオカケン=「福多かけん」だから(あはは)。

 それからさらに太宰府市や筑紫野市は
 北東の方角を竈戸神社が守っているから。

 鬼は北東=丑虎(うしとら)の方角からやってくるんですね。
 だから、鬼は牛の角をもち、虎のパンツをはいています(あはは)。

 ほんとうですよ!京都と比叡山・延暦寺の関係もおなじ。
 大宰府(都府楼)もこれにならったわけです。

 延暦寺をつくった伝教大師・最澄も
 唐にわたる前に、宝満山で修行をしています。

 中宮跡から男道をいくと、すぐ左手に羅漢道がわかれ
 そこをいくと、伝教大師が修行した窟があります。

 というわけで、霊験あらたか。
 ですが、念のため、豆まきをすることまでは止めません。

 さて、宝満山は「婚活パワースポットだった!」シリーズも
 きょうで、いよいよ最終回。

 中宮跡から石段方向へくだらないで
 ちょっと左手にいくと行者道があります。

 行者道をくだると鳥越(鳥追)峠に出ます。
 そこをまっすぐに登りかえすと、愛嶽山(おたけさん。432m)。

 愛嶽神社の祠があって、左手(向かって右)に
 役行者(えんのぎょうじゃ)の石像が写真のとおり。 

 本名は役小角(えんのおづの)。
 飛鳥時代から奈良時代に実在した呪術者。

 修験道の開祖。葛城山・金剛山、熊野・大峰山などで山岳修行を重ね
 吉野(金峯)山で金剛蔵王大権現を感得しました。

 平安時代から、山岳信仰・修験道が人気となり
 役行者と呼ばれるようになりました。

 八犬伝にも登場するなど
 伝説的なパワーを発揮します。

 役≒縁なので
 彼も婚活・婚後パワーを授けてくれることでしょう。

 ちなみに、わが事務所では、私の担当事務局になると
 結婚か出産かのご利益があるという伝説があります。

 これまで担当になった事務局は担当期間中に
 ほぼみな結婚か妊娠をしました。 

 おそらく私が宝満山に登ることによって
 宝満山のパワーをなにがしか持ち帰っているためでしょう。

 4月から異動があるのですが
 どうやらその期待もあるようです。
 
 かくてまた
 宝満山に登らねば!(うふふ)

              ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年7月13日水曜日

 宝満山の風景



 きのうのつづきです。山頂から北西に
 宇美町・志免町方面、博多湾を臨んでいます。

 博多湾の中央に浮かんでいるのが志賀島
 その右側に延びているのが海の中道。

 志賀島の左奥に浮かんでいるのが玄海島
 左手前が能古島。

 その奥は糸島方面が
 見えています。

 左下の屋根は竈門神社の上宮
 屋根から中央部にかけての緑の固まりが四王寺山(大野城)です。

 四王寺山の向こう側が春日市、福岡市
 拡大すると、志賀島と能古島の下あたりに空港が見えています。

 その左側にはさらに、福岡タワー、ドーム、シーホークなども
 見えています。わかりますか?

 歴史で習ったとおり、大野城・水城が築かれたのは
 白村江の戦い(663)に日本が敗れてから。

 太宰府側の防衛線として水城が築かれたというけれども
 粕屋・宇美側の防衛線はどうなってたんだろうと思います。

 平安時代、最澄が渡唐する(804)まえにも
 宝満山にこもって修行をしたといいます。

 彼らもおなじ風景をみたのでしょうか。