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2023年11月20日月曜日

わが法律事務所の研修旅行@宮島・広島平和記念公園(2)

 




 翌日。宮島から平和記念公園まで直行便がでていたので、それで海と川を渡る。所要時間45分。原爆ドームのすぐ南に着岸する。広島は4回目だが20年ぶりだ。

原爆ドームはいうまでもなく、人類史上はじめて使用された核兵器の惨禍を伝える遺構。世界遺産。欧米系外国人が多く見学していた。

つづいて平和記念資料館。ところが行ってみると、長蛇の列。ここも欧米人が多い。入館まで小一時間かかるという。われわれは帰りの新幹線の時間的制約もあり、こんかいは断念。

やむなく原爆の子の像をへて、おりづるタワーへ向かう。原爆ドームの東100メートルほど。

最上階にのぼると、眼下に平和記念公園が一望できた。被爆で全身火傷の人々が飛び込んだという旧太田川の流れも見える。いまはひたすら静かに流れていた。

折り鶴を折って、願い事を書くのであるが、もちろん願いは「世界平和」。

2023年11月19日日曜日

事務所研修旅行@宮島・広島平和記念公園(1)

 





 事務所の研修旅行1泊2日へ行ってきた。行き先は宮島・広島平和公園。

初日は宮島。秋の安芸の宮島。日本三景の一つ。廿日市側・宮島口から頻繁に船が渡している。

乗船まえに腹ごしらえ。店はあなごめしうえの。店前は長蛇の列、予約していてよかった。炭火で焼いた香ばしい穴子のコースに舌鼓。柳川のうなぎと似て非なるところがおもしろい。昼から満腹。ぜいたく。

厳島神社が世界遺産に登録されている。本殿、拝殿、回廊などが国宝。海上に立つ朱塗りの大鳥居は日本三大鳥居の一つ。

祭神は宗像三女神である。宗像大社とおなじ神、というか宗像大社からやってきたらしい。福岡とご縁がある。三女神はアマテラスとスサノオの娘たち。海の交通安全の神様。

平清盛が安芸守となったことから隆盛した。日宋貿易船を大和田泊(兵庫港)まで導き入れる拠点でもあったという。ことし六甲山全山縦走を行った際、山上から遠望したのが大和田泊のあたりだったので感慨深い。

船の側面をみると伊都岐号というのがある。福岡県人からすると糸島?と思ってしまう。が、厳島はふるく伊都岐島と表記されたことによるようだ。

上陸すると、鹿がよってくる。子どもがおずおずとなでている。

宿である錦水館に荷物を置いて、表参道商店街へ。そしてやまだ屋で、もみじ饅頭づくり体験に興じる。単純作業だができばえに差が出てしまう。なにごとも奥がふかい。

饅頭づくり体験のあとは観光。ガイドさんは島一番らしい(自分で名乗ったのではない。通りすがりの他のガイドさんがそう紹介していた。)。ぼくがダジャレをいうとダジャレで返してきたから、そうとうの腕前と拝察した。

まずは旅の安全を感謝して道祖神社(幸神社)参拝。坂を登ると、五重塔がみえる。五重塔にまっすぐは向かわず、交流館へ。大杓子を見学。

そこから五重塔へ戻る。豊国神社(千畳閣)参拝。秀吉の死により未完。ここに入口ができるはずだったという空間が秀吉の夢の挫折を際立たせている。

厳島神社は5回目くらいだが、ガイドさんつきでは初めて。先達はあらまほしきものなり。NHKの2時間でめぐる厳島神社で予習していたものの、いろいろと知らないことを教えていただいた。ガイドさん、ありがとう。

2021年10月3日日曜日

白神岳登山記

 



 あこがれていた白神岳(1235m)に登った。山の名がとにかくかっこいい。白山やモンブランに比べ神装備である。

青森県と秋田県にまたがる白神山地の盟主。以前、事務所旅行で山麓を散策したことがあり、いつかは登頂したいと思っていた。

世界遺産。南の屋久島とともに日本で初めて登録された。屋久島は麓の亜熱帯から山頂部の高山帯まで植生の豊さが、白神山地はどこまでも広がるブナ林にみられる手つかずの自然が評価された。

ここより北に弘前の岩木山、さらに北には北海道の山々があるが、辺境感という点ではここが一番かもしれない。

最寄りはその名も白神岳登山口という駅。五能線のほぼ中央にある。五能とは青森県の五所川原と秋田県の能代の頭文字。同駅の近くには、手頃な宿泊施設が見当たらない。

能代にルートインがあったので、そこに前泊することにした。夜7時に駅におりたつと、駅前は真っ暗、ホテルまでは歩いて25分もあった。翌日の買い出しのため、コンビニまでさらに10分歩く必要があった。

翌朝4時30分起床、5時43分の始発に乗った。朝夕だけ4便ほどが走るローカル線だ。遅刻するとつぎは7時34分、待ち時間が半端ない。というか、この日の山行を断念せざるを得ない。ドアの開閉はボタン操作が必要、2両編成。なんと他に客はおらず貸切だった。

能代は晴れていたが北のほうがくは雨雲が蝟集していた。北から寒気が南下しているためだ。天気予報ではしだいに回復に向かうとのことだった。

列車が進むにつれ、白神山地が右手から迫ってきて、線路は日本海沿いに押しやられた。日本海の荒波が磯にうちよせ、車内まで潮騒が響いている。再雇用なのか運転手のせなかが小さく見える。

途中、サルに注意などの看板がでている。クマ除けの鈴は持参したが、サルの襲来までは予期していなかった。

白神岳登山口駅で降りる。6時39分。むろんぼくだけだ。やはり磯にちかく、波がうちつけてくる音がときおり聞こえる。とっても風情のある駅だ。標高ほぼ0メートル。

ここから山頂までの往復。標高差1235メートル、コースタイムは8時間35分。帰りの電車は15時19分発の予定。コースタイムどおりに歩いてギリギリの時間だ。これに遅れると、その次は19時58分までない。本日の宿まで行きつくことができなくなる。

線路と国道をわたると、登山口までのびる林道にとりつく。登山口までは40分の林道歩きだ。ツリガネニンジンがところどころに咲いている。

林道の終点、駐車場に着いた。車が5台だけ駐まっている。きょう山に入るのは10名前後か。みなもう出発したようだ。

歩き出すと雨が降ってきた。しばらくは傘でしのぐ。男性1名とすれ違う。さらに激しくふってきたのでレインウェアをはおる。天気予報ははずれた。帰りまでずっと雨はつづいた。

しばらく行くと登山口。ここから本格的な登山道がはじまる。すぐのところに神のごときブナの樹があった。40分で二股分岐だ。夫婦が休んでいた。

文字どおり、右の谷筋と左の尾根筋の2コースにわかれる。谷筋は徒渉が3度あり、木の橋や石を跳んで渡らなければならない。雨に濡れて危険と判断し、尾根筋をピストンすることにした。

しかしきつい。ステイホームのせいか、体力が落ちている。コースタイム8時間35分の道のりを歩ききるこができるか不安になる。雨も降っているし、途中でなんどか断念しようかと思った。

90分ガマンして登ると、マテ山分岐。ようやく尾根上にたどりついた。そこからは道はなだらかとなり、どこまでもブナの原生林がひろがっている。残念ながら、雨々、ガスガスだが。

ブナはスギやヒノキと異なり、曲がりやすく建築材として役にたたない。橅という漢字は役に立たないことからきている。しかし、保水力がたかく森のダムといわれる。雨のブナ林ではそれがよく分かる。

尾根上を90分行くと大峰分岐。山頂から発する稜線だ。左は有名な十二湖方面、右が山頂方面だ。雨はなお降り続く。20分ほどで山頂だ。途中、おじさんとすれ違う。きょう4人目だ。天気予報はずれましたな、おじさんもボヤいている。

山頂付近には避難小屋とトイレがある。避難小屋には3人ほどが雨をしのいでいた。名古屋から来たらしい。これで7人。山頂で証拠写真を撮り、休憩なしで下山を開始する。

最初にすれ違った男性とすぐのところで会う。ぼくが木陰で道をゆずろうと待っていたのに気づかず、ぎょっとされる。猟銃をもっていたら、撃たれたかもしれない。きょうは人が少ないという。地元のかただ。

大峰分岐までに若い男性とすれ違う。これで8人。大峰分岐をくだりはじめると先ほどの夫婦。こちらはカウント済み。あと登山口付近で男性とすれ違った。結局、この日お会いしたのは以上9人だった。

雨のおかげで雄大な景色は観ることができなかったが、静かな山旅を楽しむことができた。むしろ寂しいくらいだ。一部をのぞき、期待したほど紅葉は進んでいなかった。紅葉までもう1、2週間ほどかな。

最後にすれ違った男性は「下のほうにクマがいましたよ。」と注意してくれた。人が少なければ、クマと出会う確率が高くなる。注意しながら下ったが、クマの姿は見えなかった。ほっ。

帰りの車窓、日本海が日を受けてキラキラ輝いていた。なるほど、このあたりは真西に日本海があり、そこへ夕日が沈む。芭蕉も感動するはずだ。

2021年8月23日月曜日

吉崎・汐越の松

(吉崎)


(汐越の松)
 
(東尋坊@ちくし事務所旅行)

 越前の境、吉崎の入江を舟に棹して、汐越の松を尋ぬ。

 よもすがら嵐に波を運ばせて 月を垂れたる汐越の松  西行

この一首にて数景尽きたり。もし一弁を加ふるものは、無用の指を立つるがごとし。

 大聖寺川を川に沿ってさらに下ると、日本海に出ます。その直前、加賀の境を越えて越前(南)側に北潟湖が広がり、その東岸に吉崎があります。吉崎は吉崎御坊があったところです。

わが家もご多分にもれず浄土真宗。真宗は親鸞聖人がはじめたられたことはみなさんご存じでしょう。室町時代には真宗は衰退していました。それを中興したのが蓮如で、その拠点となったのが吉崎御坊です。蓮如がいなければ、わが家が真宗に帰依することもなかったでしょう。

教科書にでてきた加賀一向一揆も蓮如や吉崎御坊が中心。そういえば、曽良が養生におもむいた伊勢長島も戦国時代、一向一揆の拠点でした。なにか関連があるのでしょうか。

吉崎御坊跡から北潟湖を越えて西岸にでると、芦原ゴルフクラブがあります。汐越の松はその敷地の中にあります。無断では入れません。受付で承諾をとりコースのなかをしばらくいく必要があります。いまでは月が垂れるかわりに、ゴルフボールが降ってきます。

汐越の松と聞いて、なにやら思いだしませんか。そう、一つは末の松山ですね。

 君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ 東歌

 ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波こさじとは 清原元輔

もう一つは象潟の汐越。曽良の句

 波越えぬ契りありてや雎鳩の巣  曽良

二人の愛が続く限り末の松山を波が越えることはないとの断言から、すこしずつ崩れて、ここでついに汐が越えてしまいました。女房役の曽良と離ればなれになったことを表しているのでしょうか。

なお、汐越の松からすこし南に下ったところに東尋坊があります。松本清張の『ゼロの焦点』の舞台です。最近は(といっても10年以上前ですが)広末涼子主演で映画化されましたね。

2008年10月15日事務所の旅行で行きました(加賀屋に泊まったのと同じとき)。その際の写真ですが、この西方浄土にあこがれ・たそがれている女人が誰だったか思い出せません(笑)。

2021年6月23日水曜日

松島ー造化の天工

 塩竈でおもいのほか長居してしまいました。つぎはいよいよ日本三景の一つ、松島。

 日すでに午に近し。船を借りて松島に渡る。その間二里余。
 そもそも、ことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、およそ洞庭・西湖を恥ぢず。東南より海を入れて、江の中三里、浙江の潮を湛ふ。


島々の数を尽くして、聳つものは天を指さし、伏すものは波に匍匐ふ。


あるは二重に重なり三重に畳みて、左に分かれ右に連なる。


負へるあり、抱けるあり。児孫愛すがごとし。松の緑こまやかに、枝葉潮風に吹きたわめて、屈曲おのづから矯めるがごとし。

その気色窅然として、美人の顔を粧ふ。ちはやぶる神の昔、大山祇のなせるわざにや。造化の天工、いづれの人か筆をふるひ、詞を尽くさむ。

2021年6月20日日曜日

塩竈神社(鹽竈神社)

(宮柱ふとしく、採椽きらびやかに) 

(石の階、九仞に重なり)

 あれれ。土日のんびりしているあいだに、トミーが連投しています。少なくとも雨ニモ負ケズの投稿は芭蕉一行が岩手県に入るまで待ってほしかった気がしますが、しかたありません、先を急ぎましょう。

 早朝、塩竈の明神に詣づ。国守再興せられて、宮柱ふとしく、採椽きらびやかに、石の階九仞に重なり、朝日朱の玉垣をかかやかす。かかる道の果て、塵土の境まで、神霊あらたにましますこそわが国の風俗なれと、いと貴けれ。

写真をうまく撮るには斜光線がいい、といわれています。朝夕、日の光が斜めに差すと、被写体が立体的に写り、平板な作品を免れるからです。

芭蕉の描写も、早朝参拝の効果でしょう。清澄な空気のなか、お宮全体がキラキラと輝いています。もともと塩竈神社は小高い丘の上にあり、仰ぎ見るかんじなのです。それに、さらに早朝効果がつけくわわって、神々しさばつぐんです。

(文治三年の宝灯)

 神前に古き宝灯あり。鉄の扉の面に「文治三年和泉三郎寄進」とあり。五百年来の俤、今目の前に浮かびて、そぞろに珍し。かれは忠義忠孝の士なり。佳名今に至りて慕はずといふことなし。まことに「人よく道を勤め、義を守るべし。名もまたこれに従ふ」といへり。

芭蕉が塩竈神社をキラキラと描いたのは、こちらの本題をより効果的に浮かび上がらせたかったからでしょう。和泉三郎は、奥州藤原三代・秀衡の三男・忠衡です。忠衡という名前をもらったときに、忠衡の運命は定まったのでしょう。

奥州藤原氏については、NHK大河ドラマ『炎立つ』でやっていました。後三年の役ののち勃興して奥州の覇者となったものの、わずか三代で頼朝に滅ぼされてしまいました。

頼朝に追われる義経は、秀衡を頼って奥州に落ち延びます。義経にふところに飛び込まれた秀衡は、さぞや困ったことでしょう。ところが、頼朝との駆け引きがこれからというときに、病没してしまいます。

それが文治三年(1187年)です。芭蕉来訪の500年前。和泉三郎こと忠衡はどのような願いを込めて、この法灯を寄進したのでしょうか。

鎌倉の圧力に屈し、泰衡は義経を殺し、その首を頼朝にさしだしました。忠衡は義経に対する忠義の心からこれに反対し、やはり泰衡に殺されてしまいます。その後、その泰衡も頼朝に攻めほろぼされてしまいます。

判官びいきもあり、のちの人々は、忠衡を忠義忠孝の士なりとして褒め称え、その名をいつまでも慕います。よく道を勤め、義を守れば、不易の名を残すことができるーというわけです。

2021年6月15日火曜日

塩竈の浦





 ・・塩竈の浦に入相の鐘を聞く。五月雨の空いささか晴れて、夕月夜幽かに、籬が島もほど近し。蜑の小舟漕ぎ連れて、肴分かつ声々に「つなでかなしも」と詠みけん心も知られて、いとどあはれなり。

末の松山で、翼を交はし枝を連ぬる契りの木も、つひにはかくのごときと悲しさもまさりていたら、いつのまにか、つぎの歌枕・塩竈の浦に場面転換しています。

事務所旅行で仙台・松島を旅したときにも塩竈の浦ちかくまでは行ったのですが、残念ながら、塩竈湾(千賀の浦)や籬が島までは見学していません。なんというもったいないことを。師匠や河原左大臣に叱られそう。

残っている写真は、湾にほど近い亀喜寿司で食べた寿司の写真のみ。せめて、これをよすがに「肴分かつ声々」を想像してくだされ。

河原左大臣・源融は、すでに触れたとおり、陸奥の致景に惚れ込んで、京都の六条河原院に塩竈の浦を模して庭をつくらせました。現在の渉成園・枳穀邸です。

 河原の院こそ塩竈の浦候ふよ、融の大臣陸奥の千賀の塩竈を、都のうちに移されたる海辺なれば 名に流れたる河原の院の、河水をも汲め池水をも汲め・・・(謡曲『融』)

塩竈の浦の写真はありませんが、枳穀邸の庭の写真はあります。せめて、これをよすがに塩竈の浦を想像してくだされ。

(籬が島)

 わがせこを都にやりて塩竈の 籬が島のまつぞ恋しき 東歌

(塩竈の浦)

 みちのくはいづくはあれど塩竈の 浦漕ぐ舟の綱手かなしも 東歌

この古今集の東歌を本歌として、鎌倉右大臣が詠んだのが次の歌

 世の中は常にもがもな渚漕ぐ 海人の小舟の綱手かなしも

百人一首に採られているのでご存じでしょう。鎌倉右大臣は源実朝、頼朝の次男。鎌倉幕府の三代将軍となりましたが、鶴岡八幡宮で甥に暗殺された悲劇の人です。

百人一首を編んだ藤原定家のお弟子さんですが、東国武士ですから東歌を本歌に東国らしい詠みぶりです。

実朝はいま目のまえに広がる風景(塩竃の浦ではなく、鎌倉なので由比ガ浜か七里ヶ浜あたり)が永遠に続いて欲しいと願いましたが、願いは果たされませんでした。かなしは愛しいという意味ですが、われわれには悲しいと読めてしまいます。

頼朝は、弟の義経に平家を滅亡させ、奥州藤原氏の泰衡に義経を殺させ、さらにその藤原氏を攻め滅ぼして鎌倉幕府を開きます。が、実子はこうして暗殺され、実権は妻の実家にとられてしまいます。ああ無常。

・・・塩竈の浦に入相の鐘を聞く。ごーん。

2021年6月13日日曜日

野田の玉川・沖の石

 

(住宅地のなかの沖の石)

芭蕉一行は壺の碑の後で、野田の玉川・沖の石の歌枕を尋ねました。

3、4年ほどまえ、事務所で仙台・松島旅行に行きました。最終日、半日、自由時間になりました。みなさんはショッピングなどに行かれたようですが、ぼくは多賀城→沖の石→末の松山を訪ねました。

JR仙石(仙台~石巻)線の松島海岸駅から仙台方向へ向かうと6つ目に多賀城駅があります。沖の石も、末の松山も駅から歩いて回れます。野田の玉川には行っていませんが、やはり近くにあります。

(野田の玉川)

 夕されば潮風越してみちのくの 野田の玉川千鳥鳴くなり 能因法師

またまた能因法師ですね。白河の関(都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関)、武隈の松(武隈の松はこのたび跡もなし千歳を経てや我は来つらむ)につづいて3度目でしょうか。

(沖の石)

 わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らね乾く間もなし 二条院讃岐

百人一首で有名な歌ですね。でもいま現地に行けば必ずガッカリされると思います。涙がでます、乾く間もないほど。悲しい予測変換です。

歌のイメージとかけはなれた歌枕。沖どころか海の近くでもなく、住宅街のまんなかにあります。野田の玉川もそうです。千鳥が鳴くようなところではありません。むかしは海岸がもっと入り込んでいたのでしょうか。

2015年8月5日水曜日

卒業




事務局の原さんが定年を迎え、7月末に退職されました。


原さんは昭和63年に入所。

平成10年まで事務局長として事務所全体の仕事もしていただきました。


スイミングでからだを鍛えてあるからでしょう。

原さんが風邪や体調不良で事務所を休まれたことはほとんどありません。

28年間体型もちっとも変わらず、若々しい。


原さんといえば、

負債事件が多かったころ、

サラ金に電話して、

ひるむことなく値切り交渉をしていた頼もしい姿を思い出します。


我が事務所では少数派のA型(血液型)で、

真面目で几帳面な原さんですが、

事務所旅行の飛行機に1人だけ乗り遅れたことがありました。

でもその後の行動力はさすがでした。

ちゃんと追いついてこられましたから。

海外だったのに。


元気はつらつ、明るく楽しく、事務所のムードメーカー。

食事会や旅先でいつも場を盛り上げてくれました。


先日原さんの送別会が開かれました。

後輩たちが、

思い出のアルバム帳や、

事務所OBからのビデオレターを製作編集してくれて、

原さんに贈りました。


自分の送別会なのにやっぱり原さんは盛り上げ役で、

みんなの前では最後まで笑顔でした。


さっそくマチュピチュとイグアスの滝を観に行かれるとのこと。

原さんは事務局としても人生の先輩としても、見習いたい人です。


原さん、28年間お疲れ様でした。

そして、ありがとうございました。
旅から戻られたら、土産話を聴かせて下さいね☆(^o^)

2011年2月8日火曜日

 春の女神とアドニスと金星



 村上春樹さんの「ノルウェイの森」に  

  18歳の年の僕にとって最高の書物はジョン・アップダイクの
  「ケンタウロス」だった…。
 
 とあることから「ケンタウロス」をぜひ読みたいと思ったところ
 残念ながら絶版中でした。

 Amazonで検索すると3566円で古本がでており
 (けっこうなお値段にひるみましたが)買いました。

 「ケンタウロス」の舞台は、現代アメリカの田舎町と
 ギリシャ神話のオリンポスのハイブリッド。

 物語の途中で、いつの間にかオリンポスの世界になったり
 いつの間にか現代アメリカに戻ったり。

 「ノルウェイの森」の執筆はギリシャ等でなされているので
 村上さんの頭のなかもギリシャの神々が行き交っていたことでしょう。 

 ギリシャ神話の親分はゼウス、その親分からして異常に好色な神なので
 ギリシャ神話全体がどうしてもエロチックにならざるをえません。

 それを現代アメリカ社会にもちこむのですから
 「ケンタウロス」もいい感じにエロチックです。

 うっかり読んでいると、主人公の高校教師コールドウェル(ケイロン)は
 校舎内を歩いていたはずなのに…

  ヴェラが蒸気に包まれて目の前に立っていた。青いタオルが体からなまめ
  かしくずり落ちると、琥珀色の陰部が露のしずくに白く光っていたっけ。

  「わたくしの兄のケイロンはなぜサテュロスのように口をあけたまま立っ
  ているのでしょう?神々の姿はケイロンも見なれているはずですのに。」
 
  「女神アプロディテよ。」

 …という具合に、おなじ高校の女性教師ベェラがたちまち
 愛と美と性を司る女神アフロディテに変身してしまいます。

 アフロディテは生殖と豊穣を司り
 ということは春の女神でもあります。

 わが法律事務所では年2回
 春と夏にニュースを発行しています。

 今春号はご遺族のご厚意で小川蓮太郎先生の画を2枚
 掲載させていただきました、そのうちの1枚が「アネモネ」。

 アフロディテはアドニスの美しさに惹かれ、かわいがっていたところ
 彼は狩猟の最中に野猪の牙にかかって死んでしまいました。

 女神は嘆き悲しみ、自らの血をアドニスの倒れた大地に注ぎ
 その地から芽生えたのがアネモネです。

 ひとつの花の由来さえ、このように
 美しく説明する古代ギリシャ人の感性に親近感をおぼえます。

 古代ギリシャ人たちがアフロディテと呼んでいた神を
 古代ローマ人たちはヴィーナスと呼びました。

 古代ローマ人やヨーロッパの人々がキリスト教を信仰するようになり
 異教となったギリシャ・ローマの神々への信仰は廃れました。

 ギリシャ・ローマの神々が再生(再誕生)したのはルネッサンス期
 ボッティチェリは「ヴィーナスの誕生」を描きました。

 先ほどのケイロンがアフロディテと遭遇した場面も
 「ヴィーナスの誕生」を彷彿とさせます。

 おなじく「春(プリマベーラ)」もまたヴィーナスを中心に描いたもの
 どちらもフィレンツェのウフィッツィ美術館でみることができます。

 ボッティチェリ(1445-1510)はガリレオ(1564-1642)より1世紀以上
 前の人ですから、異教の神を描くことにかなり勇気がいったと思います。

 それでもボッティチェリがヴィーナスを描いたのは
 その愛と豊饒の力に魅せられたからでしょうか?

 昨年、事務所のメンバーで神戸に行ったさい、
 夜景をみようということになりました。

 ビュー・ポイントを地元の人に尋ねると、
 「キンセイダイ」という人と「ヴィーナスブリッジ」という人と…。

 迷ったすえに「キンセイダイ」に言ってみると「ヴィーナスブリッジ」と
 おなじところでした。

 金星台とは神戸市中央区の諏訪山にある展望台。ここと諏訪山展望台を繋ぐ
 螺旋橋の愛称がヴィーナスブリッジ。

 1874年にフランスの天体観測隊が、金星の太陽面通過の観測をこの地で
 おこない、それにちなんで命名されたとのことです。

 ギリシャ・ローマ神話の素養がしっかりしていて
 金星=ビーナスとピンとくれば、簡単にとけた謎でした。

 というわけで、ジョン・アップダイクの「ケンタウロス」
 (古本ですが)ご一読ください。