2026年3月10日火曜日

謡曲『春日龍神』をみて

 

 謡曲『春日龍神』をみて。

 『玉鬘』と『春日龍神』は同日に行われた演目。『玉鬘』は四番目物であり、「雑能・狂女物」と呼ばれる。人間ドラマや離別・執念を劇的に描く。『春日龍神』は五番目物であり、「切能・鬼畜物」と呼ばれる。鬼、天狗、龍神など異界の生物が登場する豪快な最終演目である。

 五番目物というぐらいだから、昔は一番目ものから五番目物まで一日でやっていたらしい。むかしの人々は時間感覚がちがう。謡曲を一日に5演目もみせられた日には、現代人はクタクタになるであろう。

 あらすじはこう(https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_093.html)。

【前場】
 京都、栂尾に庵をむすぶ明恵上人は、入唐渡天(中国、インドに渡り、仏跡を巡ること)を志し、暇乞いのため、奈良の春日大社に参詣します。

 春日大社で、明恵は一人の神官と思われる老人に出逢います。明恵は老人と言葉を交わし、このたびの参詣が、入唐渡天のための暇乞いであることを明かします。

 すると老人は明恵に、二本を去ることは神慮に背くことになると言い、引き止めました。明恵が仏跡を拝むためのものだから、神慮に背くはずがないと反論しますが、老人はさらに引き止めました。

 今や仏も入滅されて時が経ち、天竺や唐に行くのもご利益があまりないことで、今や春日山が霊鷲山と見なされ、天台山を擬した比叡山があり、五台山になぞらえられる吉野金峰山もある、というように日本に仏跡と見なされる場所がたくさんあって、仏教も広まっている、と他国に行く必要のないことを強調します。

 ここまで言われて、明恵も心を改め、これを神託と受けとめて、入唐渡天を思いとどまりました。

 老人は、入唐渡天をやめるならば、三笠山に天竺を移して摩耶(釈迦の母)のもとでの誕生から仏陀加耶での成道、霊鷲山での説法、沙羅双樹の林での入滅まで、釈尊の一生を見せようと告げ、神託を授けにきた時風秀行という者だと言って消えていきました。

【後場】
 神託の霊験はあらたかであり、早くも光が射し、春日野の野山はあたり一面、金色の輝く世界となりました。草も木も仏に変わる不思議な光景が現れたのです。

 そこに龍神が姿を見せました。釈尊の説法を聞こうとやってきた八大龍王が、眷属を引き連れて法華の会座に座りました。そのほか多くの神々も現れ、同じく会座に座りました。

 やがて龍女が舞を舞い、三笠山では釈尊の一生が映じられ、明恵も入唐渡天をすっかり思いとどまりました。どれだけ尋ねようとも、この上はないと、そう言って龍女が南へ去ると、龍神は猿沢池に飛び入り、消え去りました。・・・

 なんとも『千と千尋の神隠し』のような展開。三笠山で釈尊の一生が映じられというところは、屋外で映画をみるかのよう。

 栂尾の明恵上人といわれてすぐに思い浮かぶのは、河合隼雄の『明恵 夢を生きる』。鎌倉時代を生きた明恵は『夢記』を書いていて、19歳から60歳までの自分の夢をたくさん書き残している。

 ユング派の分析心理学者である河合は、それらの夢を分析してみせながら、夢の読み方、夢と自己実現の関係、ひいては人間がいまを生きる上で大切なことを説いていく。

 『春日龍神』では、入唐渡天の必要がない理由が語られるのであるが、これは明恵が個人的な入唐渡天したくないことを述べたにとどまるのだろうか。当時のスポンサーの一人だったと思われる春日大社の意向が働いたのだろうか。さらに仏教と神教、国際情勢も影響しているだろうか。

 仏教と神道の関係は、中国と日本の関係を背景にしながら変動してきた。古代、神道を信じていた日本に仏教が伝来した。やがて信仰におおらかな日本で神仏は習合し(神仏習合)、やがて仏教が本家じゃねとなる(本地垂迹説)。

 仏教をはじめとする文明を日本にもたらした中国・インドはそれ自体で盛衰を繰り返し、日本との関係も緊張したりデタントしたりを繰り返す。そうしたなかで、菅原道真が遣唐使を取りやめてみたりもする。

 一度は習合し、本地垂迹した仏教と神道の関係も、江戸時代に儒家神道や国学・復古神道が隆盛し、明治時代に王政復古・神道国教化のながれのなか、神仏分離・廃仏毀釈となってしまう。

 『春日龍神』は鎌倉時代を生きた明恵をワキとし、室町時代に書かれた。それぞれの時代、仏教と神教、中国・インドとの関係はどうだっただろうか。それらが謡曲のストーリーに影響したかもしれない。

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