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2022年7月12日火曜日

『妻が口をきいてくれません』


  前回の事務所会議の際、ワークショップを行った。「事実をどう見るか。」というテーマで迫田班が報告を行い、それについてチームにわかれてディスカッションを行った。

本年度新機軸の一つ。事務所会議を活性化し、事務所内の風通しをよくしたいが、どうしてもマンネリ化しがち。そこでやってみることにしたのが、この方法。

タネ本は野原広子さんによる『妻が口をきいてくれません』(集英社刊)。手塚治虫文化賞・短編賞を受賞している。

まずは夫の側から。ある日、妻が口をきいてくれなくなり、あれこれ模索するも打開せず。場面切り替わり、妻の側から。口をきかなくなるまでの長い導線の紹介。

裁判をやっていると、一つの事実が二つにも三つにも化ける。事実を偽っていることもあるけれども、同じ事実が観方によって違うということも多い。夫婦でも、実はまったく違う世界を生きているということはある。

チーム分けでは、年配者グループに入れられた。若い人たちとわれわれではそれぞれ「常識」が違うので、議論がかみあうよう配慮したとのこと。

その結果、女性4人に男性1人という多勢に無勢じょうたい。なにを言っても、あーそうですよね、だからですよと言われているような気がする。

夫婦間での話題のあと、事務所内での弁護士と事務局のコミュニケーションの話題に進展するかと思いきや、突然の終了。迫田弁護士いわく、そこは「余韻と省略」(MY弁護士の言葉)なのだそう。なるほど。

2022年3月14日月曜日

パワハラ対策


  さいきんの労働相談で顕著なのは○○ハラに関する相談が増えていることだ。セクハラ、パワハラ、モラハラ・・・。

そんななか、4月から中小企業でもパワハラ防止対策が義務化される。パワハラとは、職場において行われる
①優越的な関係を背景とした言動であって、
②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、
③労働者の就業環境が害されるものであり、
①から③までの3つの要素をすべて満たすものをいう。

具体的には
(1)身体的な攻撃 暴行や傷害など
(2)精神的な攻撃 人格を否定するような言動、名誉毀損や侮辱、暴言など
(3)人間関係からの切り離し 仲間外しや無視など、職場での孤立を招くもの
(4)過大な要求 業務上不要なことや不可能なことの強制など
(5)過小な要求 程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと
(6)個の侵害 私的なことに過度に立ち入ること。

古典的な不法行為、あるいは違法行為は(1)身体的な攻撃、暴行や傷害などであった。しかし、その後、このような物理的・身体的なものではないけれども、やはり違法だという態様が認識されてきた。

これを見て思いつくのはマズローの法則だ。人間の欲求には生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求(所属と愛の欲求)、承認欲求、自己実現の欲求の5段階がある。

(5)などは一見、たいして働かなくても給料をもらえるのであればよいように思える。国鉄が民営化される際、国労の組合員に草むしりなど意義のない仕事を強制させたという。しかし人間やはり働きがいも大切だ。意義の見いだせない仕事は苦痛以外のなにものでもない。

わが事務所でも、パワハラは絶対禁止だ。まずは相談窓口を明らかにし、就業規則の改正を改正し、5月には研修(啓発)を行うことになった。

研修(啓発)にあたっては、コミュニケーションの希薄化などといったパワハラの発生原因や背景についての理解を深めることが重要であるという。

うちの職場は弁護士9人、うち男性7人、事務局(秘書)11人、全員が女性である。こうした職場で、われわれ男性年長者が難しく思うのは、(6)の私的なことに過度に立ち入るなという要請と、このコミュニケーションの希薄化を避けよという要請のバランスというか境界だ。

どこからが「過度」なのか、よく見えない。ついつい地雷原には足を踏み入れないよう萎縮してしまう。すると、コミュニケーションが希薄化してしまい・・・。だれかうまいこと教えてくだされ。

2021年9月15日水曜日

才色兼備


  きょうもセブン・オブ・ナインの話題のつづきである。一昨日から美人ネタを書いているが、じつは心配しながら書いている。このようなブログを書くことが、弁護士会の倫理研修で注意されたセクハラにあたらないだろうかということである。

美人のことを書けば、自分はそうではないと思っている女性がどうせ私は・・・という感想をもつことは避けられない。しかしそんなことを言いだせば、美人という言葉を死語にするしかないという気もする。むずかしい。いけないのであれば、どなたか注意してくだされ。

 薬害肝炎の解決局面で、国会議員に対し解決への支援をお願いをしてまわった。ある美人弁護士とペアを組んでいた。ある党を代表する国会議員の部屋を訪れたところ、すかさず目を丸くして「天は二物を与えるねぇ~。」とおっしゃった。さすが、公党の代表ともなると、人を誉めるのもうまい、一瞬のためらいもない、天下一品だ。これぐらいうまいとセクハラにはあたらないのだろう。

 さてセブン・オブ・ナインは『スタートレック・ヴォイジャー』に遅れて搭乗した美人クルーである。おなじ美人クルーのケスより人気は上らしい。

その人気の秘密はどこにあるのか。セブンはもともと地球人だが、子どものころ異星人ボーグに同化された。全体主義の集合体に組み込まれてしまったのである。その結果、一方で個を失ったものの、他方で、個人では得られぬ明晰な論理的思考力や知性を手に入れることができた。

それがジェインウェイ艦長の決断により、ヴォイジャーの一員として迎え入れられた。ボーグの属性と地球人の属性は正反対であり、当初、そのズレが笑いをうんだ。そして少しずつボーグの属性を脱し、地球人としての属性を回復していく。その健気な姿が彼女の人気の源泉だろう。

ボーグの属性とは何か。ボーグは知性が発達している。だから地球人の論理的でない行動様式が理解できない。他のクルーが地球でのしきたりを細々と説明するけれども、セブンは「理解不能だ」と一蹴してしまう。

またボーグは全体主義の集合体であるから、意思や思いを伝えるうえで地球人のようにコミュニケーションに頼る必要がない。電気信号のように一瞬でこちらの思考は相手に伝わる。ところが地球のやり方はそうではないので、そこに悲喜劇が生まれる。

ある男性クルーが好意を伝えようとしてもぞもぞとしている。すると、セブンは「おまえは私と交接がしたいのか。ではあちらに行こう。」などと言う。言われた男性としては、そうあからさまに言われては気分が失せてしまう。

じつはわれわれの業界にはセブンに似た人がすくなくない。最高学府で教育を受け、頭の回転が速く、抽象的思考を操作することに長けている。

しかし他方で、人の気持ちを理解するのに鈍感で、かつ、コミュニケーションが下手なのである。こういえば、業界人であれば、「あー、あの人とあの人とあの人ね。」というくらいはっきりしている(最高学府人生と呼ぼう。)。

もういちど母のお腹に戻ることができて、神様から「どっちがいい?」と訊かれたら、最高学府人生は選ばないだろう。

天は二物を与えず。そして意外と公平なのかもと思う。

2021年9月5日日曜日

アバウト・タイム~愛おしい時間について~



 タイムトラベルものはだいたい好きだ。ドラえもんから受けた教育のせいだろうか。グリムウッドの『リプレイ』はなんども読んだし、北村薫の『スキップ』『ターン』『リセット』三部作も大好きである。

映画『ミッドナイト・イン・パリ』が好きなのは、そのせいもあるかもしれない。1920年代のパリにタイムスリップして、ヘミングウェイやピカソと交流するという筋立てだけで引き込まれてしまう。

おなじころ、BSで『アバウト・タイム~愛おしい時間について~』をやっていた。これも好きな映画だ。やはりタイムトラベルものだからか、それとも・・・

どちらも主人公の若者のお相手役はレイチェル・マクアダムス。『ミッドナイト・イン・パリ』ではイネス役で、主人公の若者と価値観があわず、ほかの男と浮気をし、別れてしまう。

『アバウト・タイム』では、メアリー役で、ケイト・モスのファンで、主人公ティムと結婚し、愛おしい時間をともに積み上げていく。一人の女優さんがまったく違う役をこなしているのにビックリしてしまう。

『アバウト・タイム』の主役ティムの仕事は法廷弁護士。ティムがそう言うと、メアリーは「キュート」、『法廷でスーツを着て人助けをするなんてキュート」なんて返す。そうかそうか。弁護士はキュートなんだ、知らなかった。よしよし(笑)。

ティムは弁護士なんだけど、女子とのトークが下手。そんなコミュニケーション能力で弁護士としてやっていけるのか・・・。

大事な場面でいつも言い間違える、言ってはならないことを言ってしまう。

ティムには特殊なタイムトラベル能力がある(一家の男だけに伝わる)。かれはそれで過去に戻り、失敗したセリフをなんどもやり直すなかで、なんとか課題をクリアしていく。

女性を口説くときは、もちろん上手くいかない。それだけじゃない。むかし好きだった女性に観劇場でバッタリ出会う。その際、向こうは女性二人連れ。もしかしてゲイかも?この場面では、言ってはいけない言葉がいくつかあるけれど、ついついそればかりを言ってしまう・・・。

こればかりは他人事ではない。弁護士会は4年に一度倫理研修を受けることを義務づけている。ことしのテーマは、法律事務所におけるセクハラ・パワハラの防止。その一貫としてアシュリー・マーデルの『13歳から知っておきたいLGBT+』(ダイアモンド社)を読んでおくよう指導がなされた。

読んでみた。面白く読むことができた。なるほど、人と人とのつきあいは実に多様で自由なんだ。

でも頭の固いわれわれがこの時代の流れにうまく適応できるのか心配にもなった。がんばろう。できることならばキュートに。

2021年1月21日木曜日

オンライン業務の悲劇~わたし忘れられていたんですか・・・


 
もともと最高裁判所も裁判業務のIT化を進めたいと考えていました。
昨年から、新型コロナ禍の三密回避ということもあり、IT化が加速しています。

われわれの業務も、弁護団会議はズームで、家庭裁判所の調停は電話会議で、地方裁判所の準備期日はチームスで、というようにオンライン化が急速に進んでいます。去年のいまごろは想定しなかった変化です。

先日などは、さいたま地方裁判所で証人尋問があったのですが、わたくしだけが浦和まで出張し、わが依頼人と証人は福岡地方裁判所に出頭して、ビデオ尋問をやりました。はじめての経験でドキドキしました。

リアルだと、裁判官や相手方の表情や言外のコミュニケーションまで察知できるけれども、電話会議だとそれができないのが難点だったりします。でもそんなことは言ってられません。

リアル調停だと、こちら側と相手方と交互に話しを訊かれます。相手方が話しをしているときは、こちら側は待合室で待機することになります。家庭裁判所の待合室は、いま、コロナ対策のため、開放されています。そのため、この季節は寒くてしょうがない。できれば、ぬくぬくの事務所で執務したいものです。

こうしてオンライン業務は、新型コロナ禍のなか、概ね便利なツールとして機能しています。しかしながら、人間のやることですので、ときには悲劇を生んでいるようです。

隣の席は井上弁護士が執務しています。きのうも昼から、損害保険会社とたくみに交渉をしていました。御社の提案はわかりますが、あとで自賠責保険から補填を予定していることを考えれば、この程度の慰謝料は認めていただいてもなんの問題もないものと考えます・・とかなんとか。実にソフトにそつなくこちらの要求を伝えている・・・。

夕方になって、いやいやいいんです、でも、わたし忘れられていたんですか?・・いやいやいいんです、でも、わたし忘れられていたんですか?・・。
珍しく隠そうとしても感情があらわになってしまっている。いつものソフトでそつないコミュニケーション術には見られない対応。
どうしたのだろう?

訊くと、電話会議で家事調停をやっていたところ、いつまで経っても折り返しがないため、こちらから問合せの電話をかけたらしい。そして、書記官の狼狽ぶりからして、どうもこちらへの連絡を失念したまま調停手続が終了してしまっていたらしい。

あはは。そういうこともあるよね。
と思うけれども、いままでの人生、そういう目にあったことが少なかったと思われる井上弁護士の落ち込みようは・・・。

2018年5月14日月曜日

九大講義


 5月9日は,九州大学で講義をしました。

 当職が九州大学の法学部に入学したのは昭和53年(1978年)の4月です。ことしは2018年ですから,あれから40年経ったことになります。

 当時,九大の教養部は六本松にありました。高校まで大阪で育ったので,受験のとき博多駅のバスセンターで,「六本木まで!」と言ったことがあります。バスセンターのおばちゃんも,「それなら六本松でしょ。」と言ってくれればよかったのでしょうが,「そんなバス停ありません。」というお答えでした。

 いまは教養部ではなく,基幹教育と呼ぶようです。キャンパスは九大学園都市,糸島にあります。はじめて行きました。

 講義の内容は「コミュニケーション入門」。8回連続講座で,毎回,ちがう分野の講師が当該分野からみたコミュニケーションを語るというものです。

 わたくしは,日常の法律業務をコミュニケーションという切り口から整理して話しました。日常の法律業務について話すので,具体的な話題じたいは,市民大学などで話す内容とそう違いはありません。

 日常の法律業務ですから,民事事件を中心に話しました。法律上のコミュニケーションというと他の分野と異なり,自己実現や他者との交流を目的とするものではありません。

 法や裁判といえば,コミュニケーションというより,解決を強制されるイメージですが,そこに至るまでは,コミュニケーションができない当事者の間のコミュニケーションを回復し,尽くさせる機能もあるのかなと思います。

 九大の学生相手の話ということで,すこし気負ってしまって,やや抽象論に流れてしまい,学生さんたちには難しかったかもしれません。

 100人くらいの生徒さんたちが出席。法学部の学生もいますが,他学部の学生さんも含まれています。

 終わったあとに,カードを提出し,そこに感想やコメントが書いてあります。誰のカードかはわかりますが,実際の教室でどこに座っていた誰のものかまではわかりません。

 そこにあるとおり,本講義をきっかけに,法律上のコミュニケーションに少しでも興味をもってもらえれば幸いです。

 なお,こんご,当職のことを「九大で教鞭をとったこともある(偉い)先生」と理解してもらっても結構です(冗談です)。

2013年2月5日火曜日

『何者』





もういっぽうの直木賞は
朝井リョウさんの『何者』(新潮社)。

就活にとりくむ
6人の話。

「就活」という状況設定が
絶妙。

高校,大学までは
自分は自分でよかった。

でも就活となると,他者との比較のなかで
自分が「何者」かが問われる。

家族,知人,友人ではなく
就職先の評価を否応でも受けることになる。

それまでまったく他人であった人たちに
自分が何者であるかを説明しなければならない。


友人たちと情報を交換して協力しながらも
ときには抜け駆け的な行為も必要となる。

過去や現在の友人関係や恋人関係も
言動とその解釈に微妙に反映してくる。

そうなると,ひとつの言葉が
多様な意味をもつことになる。

50%は字義どおりの意味だけれども
あと30%,20%に違うニュアンスが含まれる。

侮蔑であったり,嘲笑であったり
あるいは,それらの疑いであったり。

こうなるとコミュニケーション達者でないと
ほんとうの会話ができない。

たとい4人で話をしているとしても
達者な人だけで会話が通じることになる。

にぶちんだと
会話においていかれる。


『等伯』が無骨な小説であったとすれば
非常に繊細な作品。

2011年12月4日日曜日

レスレス? by.離婚事件にも取り組む福岡の弁護士



 先日の「セックスレス?」の記事に対し
 たくさんのレスをいただきました。

 ありがとうございます。おかがさまで
 「レスレス」にならずにすみました。

 でもま、反応するしないにかかわらず
 夫婦とはなにか?考えさせられますよね?

 パリAFP時事の記者をはじめ、これを援用した日本の時事通信や
 ヤフーニュースの【こぼれ話】の担当者もそう感じたはず。 
 
 わがブログただ1人にして最強のコメンテーター
 シドニー小林さんからもレスをいただきました。

 おひさしぶりです。いつもありがとうございます。
 人生の年輪を感じさせるコメントです(上記記事のコメント欄参照)。

 匿名希望の主婦のかたからもいただきました。
 これまたひさしぶり。

 こんな記事に反応したら、自分とこがセックスレスと疑われるのでは?
 などという懸念を乗りこえての勇気あるレスに感謝します。

 なかには、ヤフーニュースが流れた時点でこの記事を読み
 私がブログに書くだろうと読んでいたというレスもありました。

 あはは。
 わかりやすくてすみません。

 これもまた広い意味でもコミュニケーションですかね?
 話す前から話す内容が判っているのだから、かなり高度です。

 これくらい互いのことが分かりあっていれば
 セックスレスにはならないのでしょうが…。

 コミュニケーションとセックスは
 深い関係にあるようです。
 
 村上春樹さんの『おおきなかぶ、むずかしいアボガド』のなかにも
 そんなエピソードがあったとおもいますが。

 逆にそんだけコミュニケーションがしっかりしていれば
 べつにセックスレスでも問題にならないということもあります。

 そういう意味では
 「コミュレス」「レスレス」こそが問題なのかも?

                ちくし法律事務所 弁護士 浦田秀徳

2011年11月6日日曜日

 さいきんのブログ



 さいきん、またまた本ブログの読者だと
 3人のかたにカミングアウトしてもらいました。

 ひとりはある団体の事務局のかたで
 いちど駅伝の練習会でご一緒しました。

 ひとりはマスコミ関係者で
 なんどか一緒に山に登りました。

 ひとりは私の仕事を支えてくれる人で
 いつもお世話になっています。

 みなさん
 ありがとうございます。

 誰でしたか、ミクシィはカラオケボックスで歌うようなもの
 ブログは駅前で歌うようなものといわれてました。

 たしかに、ブログは読者層がわからないので
 当初は書いていても虚空に吸い込まれる感がありました。

 でもこの間、おおくの方々に「読んでるよ!」と励ましを
 いただくことで、読者の方々と親密な空間を意識できるようになりました。

 ブログもまた
 コミュニケーションなんですねぇ。

 そのせいもあり、すこし肩の力が抜けて
 テーマも内容も文章もリラックスしてきました。

 えっ? 手抜き?、クオリティが下がった?…
 ま、そうともいえます。

 法律事務所の見えない敷居を低くする
 という目的で本ブログをはじめました。

 その目的をどの程度達しているかは
 いまのところ?です。

 が、おなじみの方々とのコミュニケーション・ツールとしては
 そこそこ役割をはたしているような気がしてきました。

 「ブログを読んで『虫愛ずる姫ぎみ』を買いました!」などと
 いわれると、「やったね!」という感じです。
 
 みなさま方の励ましのお言葉
 大募集してます(どういうブログ?うふふ)。
 

2011年11月3日木曜日

 アボガドはむずかしい



 (以下、『おおきなかぶ、むずかしいアボカド』の
 ネタバレあります。ご注意ください。)

 世の中にはむずかしいことがたくさんある。
 いちばんは、アボガドの熟れ頃をいいあてることだ。

 ハワイのキラウェアという町には、これを
 完璧に言い当てる太ったおばさんがいる。

 この町で、村上春樹さんは映画『ミスティック・リバー』を見た。
 終わりちかくで突然フィルムが炎上して、ぷっつん。

 誰かが立ち上がって、「おい、いったい犯人は誰なんだよ?」
 と叫んだ。すると、他の観客みんなが爆笑した。

 昭和30年代の日本の映画館にもこんな親密な雰囲気があった。
 以上が村上さんのエッセイのいちぶ抜粋。
 
 たしかに、映画もつくった側からの一方通行より
 観客と双方向のコミュニケーションがあったほうが断然おもしろい。

 長野岩戸神楽の『柴引荒神』がなぜ盛り上がったからといって
 観衆と一体となった「親密な雰囲気」の劇だったからでしょう。

 村上さんはこの「親密な雰囲気」を昭和30年代に限定しているけど
 少なくも福岡の映画館では、ときにこのような体験をすることがある。

 映画中で、役者がダジャレをいったときに
 自分だけ心のなかでクスリとするのでは、やや寂しい。

 ここはやはり会場のみなさんと、「どっ。」といきたい。
 笑いも共有することで、得られる快感が倍増しますから。

 そういえば、ロンドンで『マンマ・ミーア』を観劇したときのこと
 直前に映画を見て予習をしていきました。

 それで、筋やセリフはだいたい理解できたのですが
 笑いのツボはさっぱり。

 ロンドン子たちはひっきりなしに『どっ。」と沸いています。
 笑いを共有できず、とても寂しいおもいをしました。
 
 世の中にあるむずかしいことのうち
 ボクが考えるいちばんは、紛争をなくすこと。

 世界の人びとが笑いのツボを共有できるようになれば
 紛争はもっと減るのでしょうね。